ま え が き

 傘寿と言うことである。何時の間に歳をとったのであろうか、考えて見るとなるほど色々なことが思い出される。大正の末期に生まれ、昭和の戦争を経験し、戦後の苦しい時代を何とか乗り越えてきました。友人の大部分が戦死をし、折角難を免れた人達も、今、生きている人は数えるほどしか居ません。その上毎年、年賀状の枚数が減ることは何とも寂しいことです。 親は満州からの引き揚げで、相続するものは何もなく、全くゼロからの出発でした。私達が今日こうして元気で居られるのも、みんな皆さん方のお蔭と感謝して居ります。私達夫婦には幸か不幸か子供が居りません、従って、相続する者が居りません。家内に言わせると、私達が死んだら家も家具もコレクションなどはみんな“ごみ”とのこと。何にも残らないと云うことは如何にも寂しいことである。せめてなにかを残したいと思い起って、自分史を書きました。こんな人生もあったのだとご一読願えれば幸いです。

        八十二 はのぬけぬのは 二十八

        傘寿とて 薬ものまず 医者知らず

私は、お蔭様で体だけは丈夫です。松子は、大腸ガンに続いて肺ガンも手術をしましたが、なんとか、食事の支度と日常の家事はして呉れております。このしあわせが何時まで続きますか、この自分史を読んで下さる方が、お一人でも多くお元気なうちにと、パソコンに向いました。なんとか82才の誕生日までには仕上げたいと、頑張りました。幸いに、大正時代からの写真が手元にありますので、掲載しました。これ等は、私が12才で家を出た時から、満州時代を振り出しに東京へと、下宿を転々として来た半世紀のあいだ、戦災にも会わず大事に持って回って来た私の宝です。どうぞご覧になって下さい。私の人生にも、時代が時代ですから色々と、アップダウンがありました。幼少時のお坊ちゃま育ちが終戦時のどん底から、よくも此処まで立ち直れたものと、我ながら運の良さを喜んでおります。これも一重に、多くのよい先輩に恵まれたからだと、この人達に心から感謝しております。 自分史は、自己満足の気休めだという人が居ます。確かにその通りかも知れません。それでも私は、写真や記録を残したいのです。一人でも多くの方々に見てもらいたい、読んで貰いたいと思って作りました。何分よろしくお願い申し上げます。